シンナー依存症から回復しためばさんの話

はじめて吸ったのは中2のとき
 中学2年、14歳の時に自宅のトイレではじめてシンナーを使った。その時の私はいわゆる優等生で勉強ができて、いつも緊張していて、反抗しないいい子だったから「たまには、いけないことをしてみようかな?」という軽い気持からだった。はじめはセメダインとかボンドとかを少しだけ吸っては頭がボーッとする程度だったんだ。お金はどうしたかっていうと、おこずかいで十分足りる額だったし、学校の売店で買えたからあまり罪悪感ってなかったけれど、親にみつかるんじゃないかって、けっこう不安だった。
押入れの中で泣きながらシンナーを吸った
 20歳くらいの時、私は、「シンナー中毒だ!!」って友だちからも言われるようになっていた。そのころ吸っていた量は、1日にシンナーを3、4缶、ボンド(1キロ缶)を3缶くらい。やめられなくて、シンナーを吸うたびに死のうとして手首を切って傷だらけになった。さみしくてしかたがなかった。本当は友だちにかまってもらいたかった。その気持をなぐさめるように、押し入れの中で泣きながらひとりでシンナーを吸っていたんだ。
 そのうち、シンナーより刺激の強いもの(トルエン)に手を出してしまった。いつも、1本吸う前に、残りの3本を押し入れの布団の中とか台所の流しの下とかに隠しておくんだけど、吸ってしまうと隠したところがわからなくなっちゃう。それに、吸ってから10分とか20分するとまったく記憶がなくなっちゃうから、目がさめると空瓶がころがってたりする。
 そうすると、誰かが部屋に入ってきて自分のシンナーを横取りしてるにちがいないって思い込んで、玄関の鍵をしっかりかけ、窓にメ張りし、部屋に入ってきた証拠が残るようにカセットテープやカメラも準備したりした。本当は、私一人しか部屋にいないのにね。  
断わってもきらわれない 
 どうにもならなくなって、ついに両親に助けて欲しいと電話して、治療施設につながった。今、シンナーをやめて18年になる。
以前の自分は、「シンナーのおかげで友だちができた」と思っていた。でも今は、それが大きなまちがいだったことに気づいた。友だちになることとシンナーとは関係ないんだ。
 たとえば、シンナーを誘われて断わったって、友だちでいられるんだよ。言うなりにならなきゃ友だちじゃない、きらわれちゃう、なんてことはないんだ。私がシンナーを吸っていた時、いくら誘っても「ヤダ」って言ってグループから去っていった友だちがいたけど、あれは正解だね。誘っていた私は、ただ自分がさみしいから誘っていただけなんだから。断わられて、きらいになるどころか、むしろ尊敬したよ。
 私は、もともと99人が「青い」っていったら、自分ひとりで「赤です」とは言えない性格だった。だから両親のいいなりだった。父はいつも酔っぱらって私に説教してたけど、今思えば、そんな酔っぱらいの話は聞かない権利もあったのだと思う。
「断わる権利」があるってこと、知っておいたほうがいいよ。